2013年7月13日土曜日

殺人犯の懺悔


僕が事務所に夜遅くまでいることは、ほぼ無い。
事務所の照明を極端に少なくしているので、
日が落ちかければ帰りたくてソワソワするというシステムになっている。
(結局、自宅でできる仕事を持ち帰り作業を続けることにはなるけれど。)

当然、取引先や一般のお客さん向けの荷物は出荷するので、
運送会社のドライバーさんに来てもらう事もあるが、さほど遠くはない営業所に
直接行くほうが都合が良かったりもする。
最近は19時締め切りなので、早く事務所を出るのに一役買っている。



そこに1人、苦手な「おじさん」が働いている。
忙しさのせいか、先天的なのか、とにかく目が死んでいる。

いつもそっけないので、その「おじさん」に荷物を預けるのは
なんだか不安になるくらいだ。



先日、いつものようにその「おじさん」に荷物を預けて車に戻ろうとしたら
足下にこんなものを見つけた。


 鳥のヒナ。
どうやら営業所の大きなひさしにつくられた巣から落ちたらしい。

「おじさん」にそのヒナを託すのは不安だと思いながらも
放っておくわけにも行かず、ヒナを指差し、「おじさん」に伝える。



「えっ!かわいそ〜〜」



僕は「おじさん」の言葉におののいた。

死んだ目と冷めたハートを持ち合わせているだろうと
決めつけていた「おじさん」の目は、ちゃんと生命を宿し、
女の子が、この現場に居合わせたら同じ口調だろうというテンションで
「かわいそ〜」を発したのだ。

僕は「おじさん」と協力しながらヒナを巣に返した。



家に帰りながら、あの「おじさん」の目を殺していたのは
自分の先入観だったのだと猛省した。
「おじさん」はきっと悪い人じゃない。
高倉健よりもっと不器用な人なんだ。

 きっと僕らはこうして無数の殺人を犯している。

勝手に殺した人の目に、ヒナという手のひらサイズの小さなモノだけで
急に生命を吹き込む事ができる。


今からでも遅くない。

実は崇高な美術作品を見る目よりは、「おじさん」を見る目や感受性を養った方が
世界はあとわずかハッピーになるはずだ。


今まで、一切余計な事を話さなかったけれど、
今度は「この間のヒナはあれから落ちてはいないか」という共通の話題で
あの「おじさん」に話しかけてみよう。