2010年4月11日日曜日

祖母の記憶は紙からデジタルへ

祖母は83歳。
ちなみに祖父は20年以上前に他界した。
だいぶ腰は曲がった祖母を、妹は愛情を持って「携帯電話」と例える。

僕は実家に帰った時には、祖母の古い記憶を共有したいと思って、様々な質問を投げかける。
「この絵はいつからあるの?」
「このテープカッターはいつからあるの?」
「この恵比寿様はどうしたの?」
「なんでじいちゃんと結婚したの?」

そして祖母はいつも僕の火縄銃のような質問に、旧式マシンガンで返答をしてくれる。

今日は「じいちゃんとばあちゃんの写真見せて。」と火縄銃で放つ僕。


写真は祖父母が結婚した時に、祖母の実家で撮った写真。(左上が祖父母)
カメラ目線でチョコンと座る白い犬。かしこい。。

そして、止まらないぞ。旧式マシンガン。昭和2年製。

祖父との旅行の写真
父や叔父が学生だった頃の鎌倉での家族写真
幼い父を抱く祖母
セーラー姿の祖母
・・・

僕が生まれる前の祖母の話を聞きながら、祖母との共有メモリーを増やしていく。
そのツールとして目の前に広げられた白黒写真は、過去の一瞬を写した静止画でしかないが、
「紙」としては色褪せを進めているし、そこに写る人達の現在と過去を見比べる事で時空が歪み、僕の中には動画のように入り込んで来る。

「紙」を卒業して僕に入り込んできた白黒写真は、今日の祖母との記憶と供に目に見えないメモリーとされた。
そう考えたら、紙からデジタルへ移行する事はそんなに悪い事じゃない気がする。
紙だろうがデジタルだろうが、大事なのは「心が動かされる」という結果。

でも人間だから、紙の方が歳を取って古くもなるし感情を持っている気がして、心が動かされやすいんだろうなあ。そこが好き。


そして、見に来て欲しい写真展のお話。


人は「自分自身を、記憶を残したい」と生と死の間の時間軸に写真としてその存在を残そうとする。という類いのコンセプト。
そこに展示されていたたくさんの白黒スナップ写真が、ただ単純に僕の心を動かしました。
で、祖母のお話をしたわけ。


是非皆さんも実家などで古い写真、探してみて下さい。
写真の持ち主とメモリーを共有してみるとおもしろいですよ。

おまけ。
リアルタイムの「シェー!」