2010年3月24日水曜日

稲妻も木の枝も、その根っこも、血液の流れも、number0の新譜も

友人達がnumber0という名義で音楽をやっている。

出会いは、2003年7月8日。
「六本木でライブがあるから、一度会おう。」
という類いのメールのやり取りで、会いに行ってみたのが最初。
ここ10年間書き続けている僕の日記帳の、その日のページには
「いい感じ。まあ。」と、偉そうな感想が。。

で、それからの色んな出来事を話すと長くなるのでやめて、
とにかく僕は当時も今ももがいているんだけれど、彼らのもがき方はいつもスマートに見えたので羨ましかったなあ。

そんな彼らが必死でもがいた、ここ数年の成果がこの程形になったようです。

number0
chroma


で、僕は2度ほど通して聴いたんだけど、2度ともお酒とお話に集中していたので
じっくり聴いたのは、今週月曜日の朝。

これがまた酷い二日酔いの朝でね。
仕事に向かう車の助手席のシートを倒して、車で大爆音で聴きました。

対向車とすれ違うたびに、すれ違う音が、ガラスに反射する太陽の光が、
視界を海へ向かって通過した鳥が、
時には道を横断する老婆さえ、number0のミュージックビデオのような気配さえしました。

これは僕の完全な主観だけど、3曲目までに彼らは聴き手の体内を完全に占拠しようとしています。
もちろん彼らは武力で占拠はしない。
とてもスマートでいて、僕らにはわからない手法で。

稲妻が空に描くあのラインも、木の枝も、木の根っこも、葉の脈や、蝶の羽脈、干上がった地面の模様などなど...
自然が創る、あの有機的な「枝分かれ」の模様を思い描いてください。

僕らの体にも血液の流れや何やらで、あの模様が通路として設けられているようですが、
そこにとてもスマートに流れ込んで来る。
そして月曜の朝の僕の視界に、何かのマジックを与えてきました。
もしかしたら二日酔いのせいかもしれません。

4曲目で、占拠された体内で何か「すとん」と収まった感覚がします。

あとはボキャブラリーの限界でうまく言葉にできないので自己嫌悪。

そんなフリーズした頭に8曲目「nil」のピアノが入ってくる。

大げさな表現ではなくて、すごく純粋に思ってしまったんだけど、僕が死んだら、この曲で送ってほしい。
そうだなあ。火葬の瞬間とかね。
すごく気持ちよく昇って行ける気がする。

本人達の意図する表現と、僕の感じた感覚とは違うかもしれないけれど、nilって意味調べたら「無」って出ましたがどうなんだろう。

そして9曲目のin the wombで終わり。
胎内って意味でしょうから、8曲目で死んだ僕は9曲目でまた新たなスタートを切った事になるね。


以上、完全な主観でnumber0の新しいアルバムの感想をお届けしました。
音楽的な細かい話が一切ありませんが、お許し下さい。
感覚だけで率直に話しても良いでしょ?

HMVやタワレコでもプッシュされている様子。
多くの人に届いてほしいですね。
知らない方は是非。返金キャンペーンは行ないませんが、オススメです。

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