毎朝、駅の方向へ向かって歩いていくと、決まって同じ場所で一人の女性とすれ違う。
寒さのせいなのか、もともとの性格のせいなのかは分からないけれど、
とても涼しい顔をしている。
彼女は恐らく、定刻通りの電車に乗って駅に降り立ち、職場に向かう為
僕とは逆の方向からこちらへ歩いて来ているのだと思う。
僕は彼女とすれ違う場所を基準に、自分が時間に遅れそうなのか、
それとも少し早く目的地に着くのかを判断できるようになってきた。
そんな時計のような彼女の事を僕はこっそり、「8時台の長針の女」と呼んでいる。
ちなみに身長は低い。
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ところで、時間の流れにおいて「未来を上流」として「過去を下流」とした場合
僕らは「現在という川中」に産み落とされたという事になる。
例えばそこで「あ」と叫んだ自分は過去の自分として、1秒後には1m下流の過去に流されている。
振り返れば、上流からやってきた未来に流されて行った、大量の過去の自分が
海まで、ひいては海底まで続いていくのだ。
しかし、それではあまりにもネガティブだ。
海底から逆再生してみよう。
そうだ、例えばシャケだ。
「上流という未来」に向かって、「過去という下流」を積み重ねて常に前進して行く。
積み重ねた過去が目の前の未来を生み出してくれる。
そして目的の上流に辿り着き、最重要である営みを済ませたら、その人生の使命を遂行したと言える。
シャケは時計もカレンダーも持っていない。
しかし、ベストなタイミングで川を上って行く。
つまりは、彼らは「時間」のようなものだ。
そして、その「時間」はまた新たな「時間」として小さな卵となり上流に産み落とされる。
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「8時台の長針の女」とすれ違った後で
僕はそんな事を考えながら会社に向かった。
ある人の話によれば、人間は時計を捨てても、むしろ捨てた方が正しい時間のサイクルに乗れるらしい。
日々時間の流れに足を取られそうになりながら、川中で耐えているようでは
まだまだシャケへの進化は望めないよ。
人→シャケ→時間
僕はまだ進化の途中です。
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毎朝、会社の方向へ向かって歩いていくと、決まって同じ場所で一人の男性とすれ違う。
寒さのせいなのか、もともとの性格のせいなのかは分からないけれど、
とても険しい顔をしている。
彼は恐らく、職場に向かう為、定刻通りの電車に乗ろうと
私とは逆の方向からこちらへ歩いて来るのだと思う。
私は彼とすれ違う場所を基準に、自分が時間に遅れそうなのか、
それとも少し早く会社に着くのかを判断できるようになってきた。
そんな時計のような彼の事を私はこっそり、「8時台の長針の男」と呼んでいる。
ちなみに身長は低い。
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